1906 /明治39年
林崎にて開業 明治39年10月、亀井春吉(初代社長)が塩田の整備事業を主業務として、鳴門市撫養町林崎にて事業を開始。当時の鳴門は「入浜(いりはま)式」と言われる広大な塩田が街中に広がり、全国生産量の1割を占める一大生産地だった。
- ◎「目で見る 鳴門・板野の100年」より
- ◎「写真集 鳴門塩田史」より
1947 /昭和22年
二代目 亀井知一社長就任
昭和22年、春吉の息子・知一が国鉄を退社し家業を継承。知一は旧国鉄勤務時代に培ったビジネスノウハウを活かし、鉄道線路維持・保守作業を始めるとともに、今日の亀井組の礎となる土木・建設業を本格的に展開していった。
保線の仕事は常に危険と隣り合わせの上、高い技術と体力・忍耐力を求められるハードな業務。輸送の安全確保を通じて日本の経済発展を支えてきた。鉄道部は国鉄民営化に伴って平成4年に廃止されるまで、地元の人々の足を守り続けた。
昭和22年、春吉の息子・知一が国鉄を退社し家業を継承。知一は旧国鉄勤務時代に培ったビジネスノウハウを活かし、鉄道線路維持・保守作業を始めるとともに、今日の亀井組の礎となる土木・建設業を本格的に展開していった。
保線の仕事は常に危険と隣り合わせの上、高い技術と体力・忍耐力を求められるハードな業務。輸送の安全確保を通じて日本の経済発展を支えてきた。鉄道部は国鉄民営化に伴って平成4年に廃止されるまで、地元の人々の足を守り続けた。
- ◎「目で見る 鳴門・板野の100年」より
1953 /昭和28年
㈱亀井組に組織変更 家業から企業へ
1960 /昭和35年
大谷荘・鶴屋百貨店など鳴門市内初の本格的な鉄筋コンクリート建築に取り組み、中でも鶴屋百貨店はモダンでスマートな建築意匠、四国初のエスカレーター装備が市民の間で大きな話題に
◎「ふるさとの思いで 写真集 明治・大正・昭和 鳴門」より1961 /昭和36年
国道11号をはじめとする県内各国道の改良工事を受注
- ◎「ふるさとの思いで 写真集 明 治・大正・昭和 鳴門」より
1965 /昭和40年
鳥居記念博物館の建築(鳴門市)
この業績によって有名寺社からの依頼が飛躍的に増加
1967 /昭和42年
三代目 亀井俊明社長就任
昭和42年、知一社長が徳島県議会議員選挙に当選する。これを期に、俊明が三代目社長として就任した。世の中の好景気ムードはさらに加速。しかし、その後の第一次、第二次オイルショックを受け、業務の効率化・合理化による企業体制の向上を推進。業界に先駆けて電算システム(ソフトウェアも自社開発)をいち早く導入し、今日のコンピュータシステム運用の礎をつくった。
昭和42年、知一社長が徳島県議会議員選挙に当選する。これを期に、俊明が三代目社長として就任した。世の中の好景気ムードはさらに加速。しかし、その後の第一次、第二次オイルショックを受け、業務の効率化・合理化による企業体制の向上を推進。業界に先駆けて電算システム(ソフトウェアも自社開発)をいち早く導入し、今日のコンピュータシステム運用の礎をつくった。
1971 /昭和46年
岡山営業所を開設
1972 /昭和47年
新社屋が立岩に完成、移転
瀬戸漁港 港湾改修工事(徳島県優良表彰受賞)
1977 /昭和52年
成田山四国分院建築(鳴門市)
1981 /昭和56年
阿波国一宮大麻比古神社 社務所建築(鳴門市)
霊山寺(四国八十八か所巡礼第一番札所 鳴門市) 大師堂奥殿建築
1984 /昭和59年
鳴門防災工事(建設省優良表彰受賞)
1985 /昭和60年
ミサワ・セラミック住宅事業部開設
大鳴門橋架橋記念館建築(鳴門市)
1987 /昭和62年
四代目 泰地治美社長就任
俊明社長が昭和62年に徳島県議会議員当選。これを期に、泰地四代目社長が誕生。その就任から数年後、日本経済はバブル崩壊を迎えることになる。景気低迷ムードが進行していくなか、泰地社長は営業の強化とIT化の推進を掲げ、亀井組の新しい活路を切り拓いた。
俊明社長が昭和62年に徳島県議会議員当選。これを期に、泰地四代目社長が誕生。その就任から数年後、日本経済はバブル崩壊を迎えることになる。景気低迷ムードが進行していくなか、泰地社長は営業の強化とIT化の推進を掲げ、亀井組の新しい活路を切り拓いた。
1987 /昭和62年
徳島営業所開設
レディース・インテリアスクール 9年間連続運営し、100名近い卒業生を輩出。インテリア・コーディネーターの資格取得者も生まれ、大いに注目を浴びた
1988 /昭和63年
松山出張所開設
1990 /平成2年
リバレインマンション勝占建築
1993 /平成5年
吉野川緑の丘陸堤整備工事(建設省四国地方建設局長賞受賞 徳島市)
鳴門総合運動公園整備工事
1995 /平成7年
救援物資を送る(阪神・淡路大震災)
1996 /平成8年
徳島本店開設
創業90周年を記念して徳島市万代町に本店竣工。建物自体へのこだわりはもちろん、玄関アプローチの線ブロック、常設野外彫刻ギャラリーなど、環境・社会への貢献をテーマにした数多くの取り組みが具現化された
淡路島営業所開設
1997 /平成9年
宝殊寺本堂建築(鳴門市)
1997 /平成9年
五代目 松本尭雄社長就任
平成9年4月、土木部にて数々の功績を残す松本尭雄が五代目社長として就任。松本社長は、泰地前社長の指針を受け継ぎ、営業の強化をさらに推進し、21世紀に向けた新しい亀井組の姿を追求した。
平成9年4月、土木部にて数々の功績を残す松本尭雄が五代目社長として就任。松本社長は、泰地前社長の指針を受け継ぎ、営業の強化をさらに推進し、21世紀に向けた新しい亀井組の姿を追求した。
1997 /平成9年
ハウス21事業部(バリアフリー住宅)開設
- ISO9001取得
- 亀井俊明、鳴門市長当選
2000 /平成12年
高松営業所開設
2003 /平成15年
徳島県立北高等学校建築
護国神社 移転・新築(徳島市)
香川営業所開設(東かがわ市)
2003 /平成15年
六代目 朝野佳伸社長就任
平成15年、朝野佳伸が六代目社長に就任。創業100年の節目を迎え、次の100年に向けて漕ぎ出す亀井組の若き推進力として、業界内外から注目を浴びる。平成16年4月には徳島本店を増築。本社機能を移行し充実を図るとともに、ITの共有化、資材購入の国際化などを積極的に推進。成熟社会における新たな理想像を追求している。
平成15年、朝野佳伸が六代目社長に就任。創業100年の節目を迎え、次の100年に向けて漕ぎ出す亀井組の若き推進力として、業界内外から注目を浴びる。平成16年4月には徳島本店を増築。本社機能を移行し充実を図るとともに、ITの共有化、資材購入の国際化などを積極的に推進。成熟社会における新たな理想像を追求している。
2004 /平成16年
松下電工の耐震住宅部開設
優れた耐震性能を有するテクノストラクチャー工法に注目し、松下電工と提携。南海大地震を見据えた「安心・安全」な住宅を徹底的に追求
教覚寺本堂建築(土成町)
新しいシンボル的存在として、徳島本店を増築、本社機能を移行
2006 /平成18年
創業100周年を迎える
新たなスローガン「世紀を超え未来への飛躍」を発表
2007 /平成19年
十楽寺(四国八十八か所第七番札所) 光明会館」(宿坊)建築(土成町)
2008 /平成20年
感動ハウスVC加盟
2009 /平成21年
リフォーム&増改築ショールーム「リフォームプラザ亀井」オープン
イケアジャパン㈱と提携
サンテックパワージャパン㈱とPV提携
2011 /平成23年
(株)カメイホーム、(株)アトリエEEDと合併
ビーンスターク保育園とくしま建築
四国銀行鳴門支店 建築
横浜国立大学大学院都市イノベーション研究院との共同研究の成果として、Garden*Houseプロジェクトがスタート
2012 /平成24年
鳴門本社リニューアル
<引用文献「創業百周年記念誌」>